キリエのうた感想

岩井俊二監督の最新作「キリエのうた」。結構待ちわびていた作品。半年前くらいに公開のアナウンスがあった頃、自分はちょうど主要な岩井監督の作品をあらかた見終わり、頭の中で岩井監督の映画のイメージを繰り返し噛み締めて浸っていた時期だった。電車に乗れば外に見える田園風景が「リリィシュシュのすべて」のワンシーンのように思えたり、一眼レフカメラで写真を撮る時にやたらとフレアを入れてみたり。岩井監督の映画は人々が日頃目にしている日本の見慣れた情景に、美しく儚い人生の瞬間を重ねる。ありふれた景色を瑞々しく切り取るショットの美しさ、あり得そうであり得ない童話的なストーリーは岩井作品のトレードマーク。時折意図的に画面に入るフレアやカラーグレーディングからも透明感や白の印象を強く感じるし、青年期特有のメランコリーや懊悩を描く代表作「リリィシュシュのすべて」、女子高生2人の友情を描く「花とアリス」から岩井監督といえば青春というイメージを持つ人も多いと思う。新海誠も影響を公言しているし、岩井作品はのちの青春を取り扱った日本の創作物全てに影響を与えていると言っても大げさにならないくらいだと思う。それでいて「リップヴァンウィンクルの花嫁」など、近年の作品では人生のライフステージでも中盤、20代前半の社会人の時期を描くなど必ずしもティーンエイジャー、モラトリアムに焦点を当てている訳ではない。今作「キリエのうた」はどうだろうか。主人公の小塚ルカはみたところ20代前半だし、彼女を取り巻く、夏彦、イッコなどのキャラクターたちもルカと同い年くらいの設定。それでもやはり青年期と言えば青年期であることは確かで、青春の残り香のようなものも作品全体から感じる。映画全体の構成としては、しばしば夏彦、イッコ、ルカの過去が掘り下げられ、彼らが如何にして現在の状態に至ったかを回想の連続で説明する。過去の回想で物語の全容が明らかになるこの構成は岩井作品の中でも「love letter」を想起させるし、北海道帯広での雪のシーンも自作からの引用的なものを感じる。Twitterから繋がりを経て物語が動いていくのは「リップヴァン」だし、守りたかった人を守れない無力感で泣いてしまう夏彦は「リリィ」の雄一みたいに写る。イノセントの喪失、美しいモノを犯すと言った岩井俊二特有のダークでフェティッシュなモチーフも健在で、それらが表出する度に、岩井監督の過去作を想起しながら楽しむ自分がいる一方でこれを今楽しむ分にはちょっと引っ掛かりがあるのではないかと思う自分もいる。「リップヴァン」以前なら岩井俊二のダークな部分はリアリティや彼の作品の鋭い部分を担保しているのだと感じて、気にならなかったのだが、2023年現在においても性加害に巻き込まれる女性の姿を描きながら、それはあくまでもモチーフのままに留まる軽さ。性を切り売りする事でしか生きていけないイッコのアークに関しても最後まで放り出したままで、何処か核心を欠いた感じがする事も妙に引っかかる。夏彦とキリエ(姉)が両者共に高校生でありながら子供を出産する事に対して周りの大人が疑問なく全肯定というのも少し危うい感じがした。色々書いたものの、震災を経て日本の社会から見捨てられたルカ改めキリエが公権力を前にしてそれでも歌い続ける姿を描き切ったラストシーンはとても良かった。